あの日から

作者日記

23年前の大震災

今日で、もう23年なんですね。阪神淡路大震災…

当時、私は大阪から神戸の職場に通う、うら若きOLでした。
朝、マンション2階の部屋は、激しく揺れました。みんなパジャマのまま、騒然と廊下に出て、口々に怖かったですね〜と無事を確認しあいました。
職場に行くにはどうしたら?とテレビをつけて見た光景は、想像を絶しました。

両親も、職場の方も幸い無事…

交通手段を失い、待機。

ようやく復帰した手段は、なんと大阪南港からの遊覧船(当時出ていた観光船)で、神戸港に入るという方法。
私は、船で通勤するという貴重な経験をしました。

下船すると、毎日、非常食のバナナとアンパンが配られました。とても有難かったのですが、水とガス、電気がない時は、ひたすら、この火の通っていない物を食べつつ、職場周辺の復旧作業に励みました。

数少ないOL体験の中でも、群を抜いて濃い体験です。

当時、私はこの仕事とは別に、声の仕事をするために、修行中の身でした。
レッスン場は大阪でしたから、神戸の惨状とは天と地くらいの差がありました。
普通にレッスンに通えていると思ったら、次の日はアンパン頂きながら、船を降りる朝を迎えます。

そんな23年前…

明日は、いつもわからない

修行に通うほどの精神状態になかったけれど、振り払う気持ちだったんだなと、今は思います。

貴重な仕事を得た

震災一年後、オーディションに合格した私は声の世界にデビューしていました。

その数年後に、ナレーターとして、とても難しい仕事が舞い込みました。
「ラジオで震災手記を読む」という仕事です。
冷静に事実を受け止め、声にしていく仕事が、初めてつらいと思いました。
その時、すでに震災からは5年は経っていたと思います。でも生々しい手記を読むために悩んだことは、忘れられない貴重な体験です。

減災の備え

我が家は、東日本大震災は、マンションの12階ですので、結構な食器が壊れました。
そんな二つの震災を経験した体験から、棚に関する収納の考え方が大きく変わりました。
いま、袋戸棚にあまり物を入れなくなったのも、その経験からです。

もし、袋戸棚一杯にモノを入れていらっしゃるなら、これから備えとして「減災」という考えを、少しでも持って頂けたら良いなと思います。

今の神戸が眼を見張るような姿になっているニュースを観て、元気で生かされていることに、感謝の一日です。

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